イニシェリン島の精霊

『イニシェリン島の精霊』の感想

先日、今年のアカデミー賞候補ということもあり、密かに話題作だった『イニシェリン島の精霊』を観に行きました!
以下、予告とネタバレ含む感想です…

小さな島で起こる、おじさん同士のちょっとした諍い。ただただそれだけのお話なのです。周りから見れば小さな小さな出来事、私たちと何の関係も無い、どうでもいい話・・・のはずが、見終わった後は、徐々にいろんな思考が沸き起こり、誰かとゆっくり語り合いたくなる、そんな映画です。

そもそも諍いの原因が、残りの人生、芸術音楽という崇高なものに身を捧げたいと決意したおじさんが、急に今まで仲良くしていた親友との関係がくだらなく思えて一方的に縁を切ろうとしたことに始まる。
もっと自分の芸術の為になる話をしたい、どうでもいいアホ話は時間の無駄…
そういうことって、よくあることなのでは?
人間関係を一掃したくなる心理。自分の方がレベルが上であり、釣り合わない…と思う心理。
普通はそこで、言われた側は身を引くものなのだろうけど、ここは小さな島だし、パブも一つしか無い。顔を合わせないわけにはいかない。それに二十年来の大親友だ。
そこからまぁ二人のやり取りが色々あるのだけど、ある時、とうとう絶縁を言い出したおじさんは、話しかけたら自分の指を切り落とす!という恐ろしいことを言い出した。裏を返せば、そのくらいしなければ、崇高な音楽へ身を捧げようという決意が揺らいでしまうということ。一気に物語の緊張感が増す。
そして、それは現実となり、善良な友に心を一瞬許したかと思うと、自分への戒めであるかのように、指を切り落として行く…
切断した血だらけの指を家の扉に何度も投げつけられたら流石に心優しい友も黙ってはいない。とうとう相手の家を放火してしまう。泥沼化する関係の中で、でも一つだけ救いがあった。それは、お互いが飼っている犬とロバに対しては、思いやりの心があったということ。弱きものを助けたいという気持ち。それが、この物語の結末の小さな光だっだと思う。決して昔のようには戻れないだろうけど、諍いは少しずつ鎮まり、新たな道が開かれて行くような予感を残し、物語は終わる。
これって、どうしようも無いほど泥沼化してしまった争いに対する一つの解決策とも受け取れる。
また、崇高な芸術のためと言って、人を切り捨てることが、本当に崇高なものへ繋がるのか?という疑問も沸き起こった。ギリシャ神話のミューズの物語は、芸術とは、自然の理を伝え、人々の記憶に残るものであり、良い方向へ導くものであると、私たちに教えてくれているけれど、おじさんの行動はそこに繋がるのだろうか?と。

皮肉なことに、おじさんが、考え、悩み、苦しみ抜いて、求めたものを手にしたのは、友人だったと思うのです。止むに止まれぬ何かが沸き起こり、爆発してしまった先にとった殺人をも厭わない、放火という行動。友人はただ、自分に定められためぐり合わせに従い、良心の呵責も無く、結果を考えることもなく行動した。それは、普通の良識ある人びとにとってはあり得ないことだけど、衝撃的で、何かを生み出すエネルギーの凄まじさがある。

おじさんは、良い結果を求め過ぎたのか、いい人過ぎたのか、指まで切り落として苦しみながら頑張ったけど、結局は、友人の放った域には辿り着かなかった。おじさんの「潮目が変わった」という台詞が印象的。

芸術ってそうやって自然の理に従い、それに対して猛進するエネルギーの果てに生まれる何かなのかなぁと。それが、たとえば音楽や踊り、絵画だったり…何を使って表現するのかは、その人次第だけれど。いずれにせよ、そういうエネルギーの宿ったものは、見る人の心の底にある何かを呼び起こし、感動を、生きる活力を与えてくれるのだと思う。

そんなことを色々と考えさせられた映画でした。
それに、アイルランドの美しい自然、土臭い音楽と素朴で純粋な心を映し出すかのような歌が素晴らしい!
ブリテン編曲のイギリス民謡を聴きたくなりました。

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